【三井住友海上を辞めて、AO HLDINGS株式会社で働く理由】
明治大学を卒業して
三井住友海上火災保険株式会社に
入社して損保の営業マンをやっていた。
中学からラグビーを始め、國學院久我山高校、
明治大学という、経歴だけではラグビー界の
エリート街道を歩んでいた。
将来はラグビー選手になろうと思っていたが、
右膝を3回手術し、ラグビー選手への夢を断念。
そんな中、大学3年になり就活が始まったが
やりたいことも、入りたい会社も一切なかった。
「やっぱ大手企業で年収は1000万はほしいな〜」
っていう気持ちで就活をして
ご縁があり三井住友海上に入社することができた。
三井住友海上に入社が決まった時、
後輩からは「中島さんやっぱすごいっすね!」
同期からは「大手企業に入って、もう人生勝ち組じゃん!」
と言ってもらえることが
めちゃくちゃ嬉しかったし、すごく気持ちよかった。
三井住友海上に入社後は、
国産車ディラーを担当する、
自動車営業という部署に配属になった。
実際に仕事をしてみると、
自分は思っている以上に、何もできなかった。
学生時代はラグビーがある程度できていたから、
変なプライドが邪魔して、
素直に仕事ができないことも認められず、
上司に質問することもできなかった。
入社して2年目になった時に、ふと1年間を振り返ってみたら、
自分は、会社の名前で周りからチヤホヤされているだけで、
実際に自分がやっている仕事は、
「上司にごまをすって社内で評価してもらう」
「お客さんに頭を下げて、謝っている」
ただそれだけの仕事なのに
そんな現状に満足している自分がいた。
社内で昇進していくためには、それが正解だと思っていた。
2年目になったある時、SNSを見ていたら
”芦名勇舗”という男を見つけた。
彼が御茶ノ水で講演すると知り参加した。
講演では質疑応答の時間があったが、
大勢の中で手を挙げることにビビって質問すらできなかった。
このまま帰ったら、参加費が無駄になると思い、
現在AO HLDINGS(当時は芦名表参道)のマネージャーをしている森山に声をかけた。
人見知りだからめちゃくちゃ緊張しながら声をかけた。
彼と連絡先を交換することができ、
翌日の朝8時に代官山のカフェで会うことになった。
翌日、代官山のカフェで話しをした。
彼は同い年にも関わらず、
自分がやっている仕事についてキラキラした目で話していた。
めちゃくちゃ楽しそうに話していた。
その時、
「同い年なのになんでこんなに楽しそうなんだよ」
「俺、このままでいいのかよ」
と思った。
時間が経っても、
「俺もあそこで働きたい」
「森山と仕事がしたい」
時間が経っても想いは変わらなかった。
2018年12月末で三井住友海上を辞め、
AO HLDINGSの面接を受けることを決めた。
ただ。。。
三井住友海上にいれば
固定給も貰えて
福利厚生も良くて
このまま働くにはめちゃくちゃいい環境だったし
辞めるのは本当に怖かった。
ついに覚悟を決めて、辞表を出した時に上司や周りから
「お前ほんとバカだな」
「このままいれば安定なのにな」
とめちゃくちゃ言われた。
否定されたことが、悔しくて悔しくて、
マジでこいつら全員見返すと決めた。
そんな中
「中島頑張れよ!」と
応援してくれる同期や先輩がいた。
「やりたいこと」と「環境」で葛藤して
一歩踏み出せない人はいるはず。
中島を見て少しでも前を向いてもらいたい。
そんな男前になる。
ジムやオーダースーツの話はまた別で。。。
中島雅人
1994年6月8日東京都板橋区育ち。
中学からラグビーを始め、國學院久我山高校で3年時に全国3位。
スポーツ推薦で明治大学に進学。大学卒業後は三井住友海上に入社し営業として働く。
ラグビーをやっていた頃と同じくらい、熱い気持ちで仕事がしたく三井住友海上を退職し
2019年3月から、AO HLDGS株式会社にJOIN
パーソナルジム・オーダースーツ業界に価格破壊を起こす事業の
運営メンバーとして今を猛烈に生きる。
0コメント